くま子の思うところ

観劇録中心。良いか悪いかではなく、私が好きかそうじゃないか。

知人を劇場に連れていくなら

せっかくグルメという番組が好き。

その土地土地に住む一般人が有名人におすすめのお店を紹介する番組。

たいていご当地グルメの美味しいお店やローカルチェーン店が紹介されるのだけど、結構な確率で焼肉屋が出てくる。和牛、地鶏の有名な県じゃなくても。

自分の出身地で考えてみる。たしかに第3候補くらいで、ステーキハウスなり焼肉屋なり洋食屋なり、地元では有名な軽いハレの席に使うやや単価高めで美味しいお店が出てくるかもしれない。どの有名人に教えるのか相手に合わせて選択している節もあるだろうし、番組が複数の一般人に聞いているだろうことからご当地グルメ被りしないよう一般人側が勝手に忖度している側面もありそう。そもそも、地元民そんなにご当地グルメ食べないだろうし。

実際、自分が一番好きなお店はここじゃないけど、色々考えた結果、県外の人にオススメしたいお店はここでした、ということなんだと思う。それはそれで行ってみたいお店ばかりで興味深い。

で、何の話がしたいかというと「舞台を見たことがない人に『今度連れて行ってよ』と言われた時、どのような作品を選択するか」について書きたい。今回も偏見100%でお送りします。

 

舞台見るの?すごいね

仕事場でも仕事外でも、演劇鑑賞が趣味だと積極的に公言はしていない。ただ何かしらのきっかけでバレたら、隠すことでもないので答えるようにしている。すると、結構な確率で上述の答えが返ってくる。

多分言った人は特に何も考えていない。言うに事欠いてというか、自分から聞いといてリアクションないのはさすがに失礼だと思って優しさから言ってくれるのだと思う。私もよくあるリアクションなので気にしない。

あるいは、これは考えすぎかもしれないけど(へー私は何が面白いのか全く分からないな。よくそんな高い金払えるな)という意味合いを含んだ「すごいね」かもしれない。ミュージカル、なぜ突然歌い出すのか理解できないと未だ頑なに主張する人達がいるがその類。こういう人に歌舞伎の隈取りはいいの?と聞くと「それはそういうもんだからいいんだよ」と返される。一緒だよ。とはいえ、こういった人達と自分の幸福を分かち合いたい、理解者を増やしたいとは特に思っていないのでこれもスルーできる。自萌他萎的なアレである。

一番厄介(と言ってしまうともう立場がフェアでなくダメだが)なのは「えーすごい!今度連れて行ってよ!」と言ってくる人達だと私は思っている。

 

不確実性の高いエンタメ

演劇は不確実性の高い、むしろ不確実性を楽しむエンターテイメントだと思う。演劇沼に棲む皆さんからすると「何を今更」だと思うが、一般の方には恐らくこの感覚がピンとこない。

スポーツ、ギャンブル、時の運に左右される。アウトドア、天気との勝負。この辺りはその沼にいない人も予期できる。

対して、映画は公開期間中にどの映画館で見ても、見る人が同じなら感じ方は一緒のはず。周囲の客に恵まれず注意力が散漫になるといった事故が発生しない限りは作品の質そのものがあまり揺るがない。良い作品は良いし、ダメな作品はダメ。

演劇に触れたことがない人は、その本質が映画よりスポーツに近いことを知らないのではないか。

今は特殊な環境下なので明日の公演が、ひょっとすると今日のマチネが無事開演するのか劇場に行ってみないと分からないが、そういう意味での不確実性は今ここで書きたい内容ではないのでちょっと脇に置いておく。

例えばアドリブ。日替わりネタ。千穐楽に向けてヒートアップもしくは悪化していく役者同士の攻防。私はその不確実性が大好きで同じ作品を見に劇場に通う。とにかくアドリブを増やせばいいと履き違えている作品もあるので、初見殺しされることも、肯定はしないが作品数見てると避けて通れない経験だと思う。

それから役者のコンディションについて。昨日の公演では問題なかった役者が今日のマチネ後半、声が枯れていた、なんてことがある。急な体調不良、ケガでのキャスト変更もコロナ前からあり得た事。良くはないけど。

そもそもその作品が面白い=自分が好きかどうかも実際見てみないと分からない。この点は映画と同じだが、決定的に違うのはチケット代だ。分からないのにお試しするにはチケット代が高い。慣れてくればキャストと制作陣である程度予測できるしその予測は大体当たるが、それでも結構な博打である。博打でいえば、最たるガチャは自席からの見え方、そして隣席、前の席、後ろの席の様子だろうか。

ざっと思いついただけでも、一回の演劇体験が満足いくものになるかどうかにこれだけの不確実な要素が関わっている。「舞台はなまもの」以前の問題もある。演劇オタクをしていくうちに本来、博打にしてはいけない要素も清濁併せ呑む感じでそういうものだと慣れてしまっている気もする。虚無に当たるのも仕方ない、事故みたいなものだと自分に言い聞かせて気を紛らわせたり。この点、掘り下げるとだんだん別の話題に脱線していくので今日は書かない。

私が言いたい事としては、演劇オタクとそうでない人で演劇の不確実性に対する許容範囲が違うという事だ。オタクは、今日ダメでも前回が良かったからまぁいいかとか、この作品は合わなかったけど明日見る作品で口直ししようとか、この前見た虚無よりマシとか思って、負った傷を見て見ぬ振りできる。

一般の方はそうはいかない。演劇鑑賞自体が一生に一回あるかないかの大イベントの可能性がある。つまり、その一回の体験がその人の演劇に対するイメージに直結する訳だ。不確実な要素がその人のスタンダードとして刷り込まれた結果、演劇は「良い」「悪い」が判断されてしまう、と私は勝手に妄想する。

この点、再現性を重視する某劇団の影響も大きいと思う。TVで特集される場合、絶対再現性の話とクオリティを維持できなくて役者が役を降ろされた話が出てくるイメージ。そのこと自体は素晴らしいと思うし、さすが伝統ある劇団と尊敬の念しかないが、一般認知度の非常に高い劇団がそういう話をすると、さも全演劇集団が毎公演判を押したような100%のクオリティで上演しているように一般の方は捉えてしまうのではないか。全然そんな事ないですよ。120%の時もあるし、50%の時もあります。

 

演劇好きになってほしいわけじゃない

で、どういうスタンスで知人を劇場に連れて行くかという話をしたい。

最初から喧嘩を売る見出しになってしまったが、この投稿が想定している「知人」はあくまで知人であって、友達ではない。例えば何かしら演劇沼にハマってくれそうな因子を持っていて、かつ自分がぜひ趣味を分かち合いたいと思う友人からチケットをとってくれと頼まれた場合、もっとちゃんと自分の好き嫌いを価値基準にした作品選びをすると思う。私の好きなものを好きだと言ってもらいたい、あわよくば一緒にハマって欲しいから。

今回想定するシチュエーションは、「舞台って見たことないんだけど一回見てみたいんだよね。今度連れて行ってよ」とプライベートの交流はほとんどないが仕事柄、仲良くしておかないとそこそこ面倒くさい先輩が話しかけてきた場合、とマニアックに限定してみる。社交辞令なのかそうでないのか分からない、ギリギリのラインといったところでしょうか。相手は本当に一回も劇場に行ったことがないか、学生時代の芸術鑑賞で見たことあるよぐらいのレベル。それこそ某劇団とか。

ここまで書いてきて若干バレていると思うが、私は選民思想が非常に強い。これは最初の推しの影響が強いと私の中では勝手に責任転嫁している。演劇を見るのはそこでしか得られない感情、思想があるからだが、それ以前に「演劇鑑賞を趣味にしている自分が好き」というアイデンティティの確認にも結びつけてしまっている。前述した、「舞台見るの?すごいね」という社交辞令にもいやいや、と答えながら実は心の中では(すごいでしょ)とリアクションしていたりする。

だから、誰かを劇場に誘う時、もちろん作品は楽しんでもらいたいけれど、それと同時に「演劇ってすごいね」と納得して帰ってもらいたい思惑がある。正直、「楽しかったけどもういいや」で終わるのが普通かなと思っているので、さて次はどの作品に誘おう、なんて建設的なことはこちらも一切考えていない。作品自体の感想より「生の舞台、大した事なかった」が一番ムカつく。演劇という文化自体の価値がその人の中で上がれば大勝利である。趣味を理解されたいではなく、相手に一瞥置かれた存在になりたい。演劇が、であり、私が。

という歪んだ考えのもとで作品を選ぶポイントを考えてみた。新しいファンを増やすという目線は一切含まれない。どのジャンルでも新規を増やさないと文化は衰退してしまうというが、新規獲得は興行側か発信力のある皆さんにお任せしたい。

 

失敗しにくい作品選び

大前提として、自分の好き嫌いは二の次である。切り離せない事ではあるので結局、面白いと思った作品に誘うとは思うが、マイベストではない。

  • TV露出の多い役者が出演している

第一にこれ。ダブルキャストだった場合、相対的にTVでよく見る役者の回を選ぶ。家族なり友人なり、オタク以外に観劇した作品について話すと、「面白かった?」の前に「誰が出てたの?」と聞かれることがままあるので。最悪、作品がその人に刺さらなくても有名人をこの目で見た!という土産話ができれば一定の満足は得られるのではという私のナメた考えもある。興行側も絶対意識してキャスティングしてるだろうし。

  • 何度も上演されていて自分が過去に観劇している作品

連れて行く自分が内容を把握していないと、誘うのはさすがに躊躇する。自分が面白くないと判断したものには連れて行けない。

  • ミュージカル

第一条件に近いが、その人に刺さる歌が一曲でもあれば費用対効果感じられるのでは。仮にストーリーに納得がいかなくても、「でもあの曲よかったでしょ」「あの俳優さんの歌唱力すごいでしょ」と納得させる材料にもなる。歌が上手いだけでミュージカルが成立するわけではないが、七難は隠せる。出来れば有名なナンバーがあった方がいいけど、そうなるともう四季しかないと思う。

  • チケット代は10,000円以上

社交辞令で「行きたい」と言われた場合、このポイントで思ったより高いと断られる可能性があるが私はそれで構わない。むしろご遠慮いただけてラッキー。お金の話を何度もしてしまうのでみみっちいのがバレていると思うが、私も富豪ではないので昨今チケット代が右肩上がりなことに困ってはいる。もっとリーズナブルになれば有難いが、早々に解決する問題ではない事と、相手にある程度の金額を負担してもらう事で当日元を取りたい、元を取るためにしっかり集中して見ようという気持ちを呼び起こさせるための金額設定。

  • 休憩込み2時間半〜3時間

お手洗いと集中力の問題。舟を漕がない限りは寝られるのもやむを得まいと思ってしまうが、話しかけられるのは大問題。

  • 原作あればなおよし

映画でもマンガでも小説でもなんでもいいけど、相手が知っている作品だと事前説明の手間が省ける。本当に観劇を楽しみにしてくれた場合、予習してきてくれたりするかも。ただし、原作とストーリーが違う場合は事前に伝えていないと、これはこれで再現性がないとみなされて揉める可能性がある。

  • 出来ればコメディ、出来ればハッピーエンド

これは完全に私の趣味が入ってしまっている。連れて行った相手の嗜好に合わせるのが一番だけど、それが分からなかったら明るく終わるのが無難じゃないかな。グランドミュージカルは悲劇が多いから悩ましいところ。余談だが、一般の方はカーテンコールがあんなに何回もあると思っていない。この点も事前に伝えておいた方が絶対ストレスが少なくて済む。

 

歓迎はしますが勧誘はしない

色々書いたが、結局、演劇鑑賞を楽しめるかは相手の素養と作品との相性によるところが全てだと思う。ので、こちらがいくらお膳立てしたところで結果はそれこそ不確実である。それでも、体験がより良いものになるようにこちらが配慮できることはあるので出来る努力はしたい。

せっかくグルメの話に戻るが、お店を紹介した人たちも、お店を通してご当地自慢がしたいんじゃないだろうか。こじつけて、一回の演劇体験を通して演劇という文化、演劇鑑賞という行為を肯定してもらいたいという私の考えも不自然ではない、と思いたい。

普通に好きな作品をダイマするのとはちょっと違った観点で作品を見てみるのも面白いかなと1人で考えての投稿でした。

私がこの観点で作品を選ぶなら、シスターアクトですかね。

推しがいる人はすごい

色々あって、この考えに至るようになった。

こう書くと余計いぶかしまれそうだけど、揶揄とかじゃなくて本気でそう思ってます。

私は推しを持つことを諦めてしまった人間なので。

 

私の思う推し

推し始めてからその人の出演する作品を全て網羅し(せめて一回は見る、舞台なら劇場で、映画なら映画館で)、定期的に手紙を出し、SNSもチェックし、行く末を案じ、邪魔にも負担にもならないよう活躍を応援したいと思える存在のこと。

 

推し遍歴

推しと思っていた人が3人いる。

自分で書いといてすぐその定義に反する話をするのはどうかと思うけど、最初に私が推しだと思った人の現場には全然通っていないし、手紙も出してない。じゃあ推しじゃないじゃん、と今となっては思う。

けど、当時の私にとっては紛れもない推しだったし、今あらゆる作品の評価をこの人の作品で培ったものさし基準で測っている自覚がある。

神様と言うほど心酔してはいませんが、今でもリーダー(指導者)だと思っている。

若手俳優ではなく、パフォーミングアーティストでした。

でしたと書くのは、その人が表舞台から引退してしまったからで、推さなくなった理由も新しいパフォーマンスが見られなくなったから。

あと2人は、どちらも若手俳優(※推していた当時のカテゴライズだと)。仮にAとBとする。

 

着ぐるみのあなたが好き

いつかTwitterで「推しは花束を抱えてやってくるものだ」みたいなツイートを見たことがあったけど、推しAはまさにそれだった。

一目惚れ。

まず顔が好き。というかルックス全部好き。声が好き。変に芝居がかってなくて自然なんだけど、日常ではお目にかかれないどこかスマートな口ぶりで紡がれる台詞が素敵。歌もダンスもセンターの輝き。自分のこと絶対かっこいいって分かってる堂々とした態度がまたかっこいい。お茶目なところもあってコメディもお手のものだし、シリアスな芝居も光ってる。

どんなにつまらない作品で見ても、推しの芝居は絶対に際立ってて最高だった。期待を裏切らないし、失敗しない自慢の推し。

そんな推しが、時代の流れもあって、というか本人がやりたかったんだと思いますが、SNSを始めた。これが推し離れのきっかけだった。

投稿の内容がちょっとあまりにも、だった。

どういうへんてこさかという説明が難しいのだけど、アンチと喧嘩したりはしてませんでした。ただ、大事な次回出演作の告知もせず、街で見つけた面白い風景を投稿してみたり、おもしろ小話を呟いてファンに構ってもらってキャッキャと喜んでいたり、かと思えば何かに対する怒りをオブラートに包まず投稿してみたり。

表に立つ人間として、オフィシャルの投稿としてそれはちょっとどうかな、と私の価値基準では思ってしまった。今思い返せば、舞台のアフタートークや配信番組の言動でもちょっと怪しいところがあったので、心構えしておくべきだった。舞台で輝く姿が完璧だっただけに勝手に理想像を高く作り上げてしまっていたのはこちらの落ち度なので、今非常に反省しています。

結局、舞台で輝く推しを見ていても当日や前日の投稿が頭をよぎるようになって、集中できなくなってしまった。

そこで考え直して、私が好きなのは板の上に立っているこの人の着ぐるみで、中の人には全く興味がない。むしろ中の人を意識することで応援する気持ちが削がれてしまうのでSNSは見ない、というスタンスをとるようになった。

前述の推しの定義に戻る。当てはまらない。担降りです。

シンプルに、こんな投稿する人を推しと呼んでいいのか、自己嫌悪に陥ったと言うのも正直なところです。推しと呼ぶにはちょっと恥ずかしかった。当時は。

ただ、根本的に嫌いになった訳ではなくこの方のパフォーマンスを100%楽しむ方法を見つけたという感じなので、未だにこの元推しの現場には各作品一回は足を運ぶ。好きな作品は何回も見に行く。でもSNSは絶対見ないし、手紙ももう書かない。手紙は書いてもいいかなと思わなくもないけど、担降りしてから実行に移すまでには至っていない。

 

推しがいようと地獄は地獄

推しBは、色んな作品を通して見る中でじわじわ好きになっていったタイプ。さっきと逆で「会うたび一本一本バラを渡されて、気づいたら花束になってた」。素敵な表現ですよね。

前述の推しと比べ物にならないレベルで駆け出しだったので、最初はアンサンブルスタートでした。そこから少しずつ役がついて、セリフが増えて、番手が上がって、スケジュールの余白が減っていった。元々、芝居のセンスがあると勝手に見込んで推し始めたけど、その原石がどんどん磨かれていく過程をリアルタイムで見られたのはめちゃくちゃ楽しい経験だったと今も思う。

これは副産物的な儲け物だったけど、推し始めた当時ファンがすごく少なかったから認知も早かった。ファンサが特別に上手だったりした訳ではない。ただ、ファンに対する感謝を自分の言葉で伝えようとしてくれる優しい人だった。とにかくがむしゃらで、仕事楽しい!って感じが全身から伝わってくるのも見ていて気持ち良かった。推しAを推していた時より自分の応援が推しの力になっているんじゃないかという、幻や妄想に近い手応えがあってこれも幸せだった。

推しBはキャリアがなかったので、節操なくいろんな作品に出演していた。結果、とにかくビックリするレベルの駄作を見る羽目になった。これが担降りの一番大きな要因。

Aを推していた時もつまらない作品はあったけど、その時感じたやるせなさを遥かに超える苦しみがこの世に存在するなんて知りたくもなかった。そういう作品にも分け隔てなく、Bが「見に来てください!」とか「新たな挑戦にワクワクしています!」とか前向きに臨むものだから辛さ倍増。(これは余談だけど、推していた当時私がつまらないと思った作品は、Aも大抵宣伝が疎かだった。褒められたもんじゃないけど、分かりやすくてよかったし救いだった。)

よく、得られる感情がなにもない作品を「虚無」と呼ぶ。私にとっては「地獄」だった。もしくは苦行。何も残らないのではなく、舞台を見なければ湧き上がってこなかった、感じる必要のなかった怒りや憎しみや嫌悪の念が私の心に渦巻く。上質な不条理劇を見た後の消化しきれない複雑な感情は、例えるなら初めて訪れた国のスパイスの効いた料理かもしれないけど、駄作の後味は残飯のそれです。

無駄に認知されてしまっていたものだから、駄作と分かっても通うしかなかった。前方席だと寝られないからわざと後方席を買い増して、前方を空席にしたこともある。ごめんなさい。どこまで本気かわからないけど、表面上、一生懸命作品に取り組む推しに本音とはいえ素直な感想を伝えるのははばかられて、思ってもいない賞賛を書き並べた手紙を何通も出した。辛かった。マチネを見終わって、あまりに面白くなくてマチソワ間に泣き、ソワレの劇場に泣き腫らした目で行った事もある。

コロナ禍になって、推しの舞台が中止になって時間が出来た。このままでいいのかと考え始めた。いつなにがあるか分からない人生。つまらない作品に時間とお金を費やす意味があるのか。自分の感情を犠牲にして、他人の人生応援して何が楽しい。

で、担降りです。もだもだしていたので降りてまだ半年ぐらい。

推しBには未だに手紙を書く。たまに、Bの出演作が面白かったら。未だに出演作の3本に1本はキケンな香りがするので現場に行かない作品もある。でも私が応援していた当時より、ずっとオタクが増えたのでこんな面倒なオタクが1人消えたところで全然問題ない。どんどん売れていく、よかった。

こうして推しなしオタクになった。後悔はしていない。

 

外交が苦手

これは推しには直接関係のないこと。界隈特有なのかもしれないし、ほとんど私の偏見ということをご容赦願いたい。

若手俳優界隈、なにかと同担・他担ネットワークが必要になりがち。

トレーディング系物販、席のサイド変更、誰かのFCイベントのゲスト出演、この辺はある程度諦められたり自分一人でも何とかできるけど、チケットが先着先行なのは本当に困った。リアルの友達に縁を切られる覚悟で毎回頭を下げて頼んでいた。

そもそも私はコミュ障で、友達も多くない。

まして同担の知り合いは現役時代、ほとんどいなかった。見栄を張って「ほとんど」と書いたけど、正直0人である。

人の顔を覚えることも本当に苦手なので、ほぼ全通の同担、いわゆるおまいつとそうじゃない人の区別すら担降りするギリギリまでつかなかった。

人に話しかけてネットワークを構築するのが苦手。逆に話しかけられてもどうしていいか分からない。人に物を頼む行為自体があまり好きじゃない。物理的にも精神的にも貸し借りは嫌い。トレーディング系は推しが出るまで買い続けるか郵送取引専門でやっていた。祝い花、人と出したことない。イベントはいつもぼっち、話しかけられてもその場だけ楽しくお話して名乗らずお別れ。オタク友達の友達のオタクと2人っきりにされる、なにを話せばいい?

一番苦手だったのは終演後、劇場前にたまって喋っている集団に入れられること。正直今も見るのすら苦手、早く帰るかお店に入りましょう。

今は、こうしためんどくさい私の性格を理解した友達としか観劇しない、もしくはぼっち観劇なのでストレスフリーです。

お気に入りのお店でブランチして、マチネ観劇して、近くのカフェで自分用メモに感想をまとめながら時間潰して、ソワレ観劇して、終わったらぴゃっとお家に帰る。性に合っている。

ここまで振り返って、生身の人間を推す行為自体がそもそも自分に合っていないんだろうなとも気付きました。相手が完璧超人ではないのに、勝手に理想像を照らし合わせて裏切られた気になりがち。あと、ギブアンドテイクはそこまで意識しているつもりないけど、「推しが見られればどんな作品でもハッピー!」というほど天使の心は持てない。払ったチケット代分の満足はしたい。

今は、気になる作品・好きな俳優さんをその時の気分でふらふら見ている。それでもつまらない作品を引っ掛けることはあるけど、以前に比べたら減った。前は駄作を見ることが「義務」のような不健康な思考回路をしていたけど、今は健全に、気楽に演劇を楽しんでいる。

 

推しがいた方が絶対楽しい

しかし、結論はこれ。推しのいないオタ活はなんかさびしい。

推しがいる時、制作やら運営やら事務所やらになにかと文句言いがちだったけど楽しかったなと思う。

優勝エピソードまでは持ってないけど、認知されててよかったということもあり。認知あったらあったで承認欲求で辛いこともあったから、なくても十分楽しかったなと。

今、推しがいる皆さん。推し活をしている皆さん、本当に素晴らしいです。羨ましいです。お疲れ様です。

私が勝手に定義した内容に当てはまらなくても、ご覧になってくださった方皆さんがそれぞれ私には推しがいます!と公言できるならそれだけで素晴らしいと思います。

私は自分の性格上、推しを持つことに向いていないと気づいてしまったので当面、新しい推しを見つける元気はありません。

いつかバラの花束を抱えた誰かが板の上に立っているのを見つけられたらいいなぁ。良作で。

私について

今、同時進行で3つ投稿を下書きしている。

こうして短期間にいくつもポストするとすぐ息切れがきて続かないことは分かっている。

けれど、何か書きたくて始めたブログなので。

 

私、くま子について簡単に書いておきたい。

私は演劇鑑賞が趣味のオタクである。

ここで言う「オタク」はどちらかというと「オタク気質」そのもののことを指す。収集癖があったり、気になる事象があるとなりたちを調べずにはいられなかったり、生まれてこのかたずっとオタク気質。

なので、ブログはなるべく淡白に書きたいのだけど、すぐオタク構文が滲み出てしまうと思う。

そういう易きに流れがちな自分の癖を治す機会にもなればいいな。

 

私の触れてきた演劇

というか界隈について。

いわゆる若手俳優が活躍する舞台を中心に観劇している。

観劇ペースはコロナ前だと、ざっとならして週に2回。界隈の平均より少ない方?

もちろん気に入った作品をマチソワしたり、遠征したり、全通したりで回数が増えているので鑑賞作品数となるとぐっと減る。

20年は劇場に足を運ぶ事自体が難しかったけど、21年は少し持ち直してなんだかんだ週に1回くらいのペースで観劇していた。

 

若手俳優界隈の主戦場は2.5次元系の作品だと思うけど、漫画・アニメ・ゲームいずれにも明るくないせいであまり守備範囲ではない。メジャータイトルも未鑑賞のままの作品が多い。テニミュNARUTOは劇場で見たことがない。機会があれば生で見てみたい、とも思うけど多分自分の傾向的にハマらないと思う。

グランドミュージカルもメジャータイトルになればなるほど縁遠い。いつか見たいなぁと思って歌だけ知っている作品がたくさんある。

じゃあ何を見てきたんだと言われそうだけど、あえてカテゴライズするならメジャーじゃない2.5作品やオリジナルミュージカルや小劇場作品が多い。ミュージカルコンサート系も少し。

 

若手俳優以外だと、四季はこれまでで4〜5回。自力で取ったチケットもあるし、友達に誘われて行ったこともある。

歌舞伎はここ5年くらい年に2回見に行っている。「歌舞伎を見る自分が好き」みたいなところは正直ある。能、狂言文楽一通り見たけど、年中どこかしらで公演している気安さとチケットの取りやすさから今は歌舞伎に落ち着いた。

宝塚は見たことない。後学のために一度行ってみたいけど、演劇に興味ない一般人が社会勉強として…と言うのと、仮にも演劇鑑賞を趣味と言っている奴が(ハマるつもりはないですが比較対象として見に来ました)と宣うのでは訳が違うし、後者は失礼すぎる。という言い訳でここまでずるずるきてしまった。誰に報告する訳でもないのに。いつか見ます。

 

好きな作品の傾向と向き合い方

  • ハッピーエンドが好き。

絶対ハッピーエンドがいい訳じゃないし、制作サイドがハッピーだと思ったんだろう終わり方が私にとってはアンハッピーだったことも多々ある。ただ、物語のスタートより少しだけでも登場人物みんなが幸せになって終わる話が好き。

  • ミュージカルが好き。

ストレートも見るけど、ミュージカルの方が良い歌聞いたな〜という満足感で「許せる」範囲が広い。何が「許せる」かは次項。

  • 説教くさくなく、ほのかに制作側の意図が感じられる。

解釈は観客に委ねました、の塩梅がうまい作品が好き。1ミリも観客に自由度のない作品や逆に制作サイドのポリシーが感じられない作品には(これを見て私にどうしろって言うんだろう…)と思ってしまう。この、制作サイドのポリシーの一つとして「とにかく良い歌を聞かせたかった」がカウントできてしまうので、私の中でミュージカルの方が総じて満足度が高い、気がする。

  • 予習/事前知識がなくてもそれなりに楽しめるものが好き。

2.5系見る時一番ネックになるやつ。私が怠惰なせいで、原作30巻あるとか言われたらそれだけで見に行くことをためらう。1巻でも結局未履修で、世界観とキャラの名前と見た目だけWikipediaと公式HPとかでざっとさらって見に行くことが多い。それでなんとかなってる。

大抵の作品は冒頭説明から入ってくれるので大変助かってます。ありがとうございます。

歌舞伎は様式美なので、最初からネタバレ読んで興味のある作品を観に行っている。

  • 一話完結が好き。

同上。話が続いている場合、前回のおさらい的なものがあると大変ありがたい。気になるところで次作に続く!みたいな締められ方を予告無くされた時が一番困る。

  • 性癖にグッとくるキャラクターがいる。

いわゆるキャラ萌え。設定なり見た目なり物語への関わり方なり、素敵!と思うポイントの合計値が高いキャラが1人でもいた場合、多少ストーリーに納得がいっていなくても楽しめる。追いチケした経験もある。

  • 作品の評価が観劇当日の自分の精神状況にめちゃくちゃ左右される。

これは傾向というより自分への戒めとして。大抵精神的に辛い時に見た作品は、平時の5倍くらい美化された記憶として残ってしまっている気がする。

 

私の今までの観劇録を分類すると、

  • いくら積んでもいいからもう一度見たい 1割
  • もう見られなくても心残りはないけどまたやるなら行こうかな 5割
  • 見なくてもよかったけどいい勉強になった 3割
  • 見なくてよかった/2度と見たくない 1割

になると分析している。

この、どちらかといえば悪いにあたる3割の作品にも褒めるところがあるように、どちらかといえば良いにあたる5割の作品それぞれにも私の中では納得してない、理解が及ばなかった部分が大抵ある。何なら、良いに当たる1割の作品のうち100%褒められる作品も数えるぐらいしかない。

Twitterで舞台の感想を検索すると皆基本的に良いことしか書いてない。匿名であって匿名でない鍵なしアカウントだとそりゃそうだろうなと思う。思いつつ、「本当に皆さん100%満足しているんですか?本当に?」という気持ちもある。

皆理解できているのに私の読解力が、理解力が足りなくて解釈できないのは申し訳ないなとも思うけど、制作側の伝え方ももう少しなんとかならなかった?と責任転嫁したくなってしまう。

だから、しっかりした観劇録の形をとった場合、私はどんなに満足した作品でもだいたい一言文句を言っているような状態になってしまい、間違えて投稿に目を通してしまった方の気分を害する可能性がある。なので、ここでは断片的な感想を述べるにとどめたいと思う。

 

推しはいない

今、推しはいない。昔はいた。

今も好きな俳優さんは何人かいるのでその人の出演作は一応一回は行くかなというレベル。

それって推してるんじゃないの?と他人の事だったら私も思う気がするけど、私が自ら推しと呼ぶ人は今いません。

この辺の話は別の投稿で書く。

 

守備範囲が非常に狭く、かつ穿った見方しかできないオタクです。

すぐネガティブなことを書いてしまうので、なるべくポジティブにいきたい。

書くこと

自分の思考を整理したいと思った。

文才もなく、鋭い感性もなく、日頃から大層なことを考えてるわけでもないのに定期的になにかアウトプットしたい欲が生まれる。

ブログなり立ち上げて大体3ヶ月くらいは続く。

そして飽きる。

一回飽きると次のアウトプット欲が湧き上がるまでに、3年くらいかかる。

今までずっとその繰り返し。

だから多分今回もそうなる予定。

 

なぜアウトプットを公開するのか

自分の中だけで備忘録で済ませておけばいいけど。

結局のところ承認欲求というか、誰かに見てもらいたいんだと思う。

あと多少なりとも誰かに読まれる可能性があると思うと、言葉選びとか文章の流れとかちょっとぐらいは意識するので一種の脳トレにもなるかなと。

 

これから書きたいこと

趣味の観劇に絡めて考えたこと、思いついたことが中心になる予定。

今日この舞台を見て、ここが良くて、ここがダメで、こういう理由で面白いと思った、みたいないかにも観劇録らしいフォーマットを作ると絶対続かなくなる。

なので作品の感想をしっかり書くというより、自分がその作品を見てどんな思考に結びついたかという「自分語り」がメイン。

 

基本ルール

  • 特定の作品、人物についてネガティブなことをなるべく書かない。書くときは固有名詞を出さない。
  • ネタバレはする。好きな演出、ストーリー展開だった場合。ミステリーの犯人を名指しすることは流石にしない予定。
  • 書き方のフォームをなるべく統一しない。経験上、統一しようという意識が更新を億劫にさせる。
  • 新しい記憶から昔の思い出まで、タイムラインはごっちゃにしてよし。

 

今度こそ続くといいな。